千葉の日本酒を扱う酒屋にも使って欲しい面白い酒情報

これまで、千葉の酒造メーカーについての記事を、『地形から呑む酒 千葉県下総編』『地形から呑む酒 千葉上総編』『地形から呑む酒 千葉安房編』で、書いてきました。記事を作成する中で、新たに気づいた千葉のお酒を卸している酒屋さんのセールストーク(雑談用)にも使えそうな面白い情報をピックアップ。

酒造メーカーと各地重要拠点

この左の地図は、千葉県の地図に各重要拠点を記したものです。

赤印:日本酒・焼酎の酒造メーカー
紫印:ワイナリー醸造所
茶印:ウィスキー 工場
青印:現在確認取れている城址
黒星:国府

国府の周りの地域には、酒造メーカーが作られていないということです。(※国府とは、奈良時代室町時代にかけて、国司(もしくは、守護)が派遣された場所。主に国司の任務として、税金徴収や裁判などがある。)この税金の徴収は、かなり強制的なものであったらしく、和歌にも載せられているほど…

千葉県では、江戸時代以降(特に元禄・享保・文化)に酒造メーカーが創業されたが、その創業以前からその地域で酒造をしていたところに丁稚もしくは修行に行っていることが多々あるようだ。ということは、江戸時代以前の酒造りは、国司がいた地域を避けていた傾向があったのかもしれない。

幕藩体制と酒造メーカー

江戸時代以降になると、各地に藩ができるようになる。千葉県に置かれた藩の位置図は、上記の左の地図(出典:https://www.shiseki-chikei.com/より)。右は、酒造メーカーの位置図である。ここからわかることは、各藩の拠点(この地図の場所の多くに、城が置かれた)に、酒造メーカーが作られていることがわかる。つまり、人が集まる城下町もしくはその近郊に酒造が置かれたということだ。

その要因は、大きく分けると3つだ。

商業圏の発展(市場)

城下町は、藩主に会いに来る役人だけではなく、「まち」に住むようになる職人や商人が増える。そのため市場ができる。それによって、貨幣経済がより浸透し、その地域以外の人間も来るようになる。また、この時代、街道の整備は、五大街道以外にも積極的に進められ、多くの人が各地を訪れることができるようになった。そのため、城下町に多くの人がより来ることができるようになったため、集客力が上がったと考えられる。

酒造りの認可制(酒造メーカ側)

幕府は、鎌倉・室町時代以降、職人コミュニティであった「座」の基盤の元、各業種に認可制を敷いた。特に、藩主のお膝元になる城下町や門前町などの職人にそれらを与えた。酒造りの場合、酒株制度を作り、幕府が認可するものとした。そのため、江戸時代では、酒株を保有している酒造メーカーが酒造りの特権を持っており、安定した酒造りができた。

安泰な社会(消費者側)

江戸時代になると人為的な混乱(戦いや一揆など)が少なくなり、庶民は、戦国時代と比べて、平和に暮らすことができるようになった。その結果、文化やエンタメに割く時間も増えるようになった。

まとめ

ポイント① 現存の酒造メーカーの多くが国府から遠い場所に置かれている(〜室町時代)

ポイント② 城下町や門前町、街道沿いなどの人が多く集まる場所に置かれた(江戸時代)

酒造りは、非常に密接にその当時の情勢と紐づいています。みなさんもその歴史に触れながら、お酒を楽しんでみてはいかがでしょうか?

 

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