酒蔵経営者の言葉から紐解く日本酒の歴史 〜明鏡止水・信州編〜

日本橋高島屋で2018年10月24日〜29日まで開催の「日本酒まつり」で、出店されていた有名な日本酒の明鏡止水の酒蔵、大澤酒造株式会社の社長の大澤社長とお話した際、「どこにでも小さな酒蔵はあった」ということをお話していただきました。それを長野の日本酒造りの歴史と照らし合わせてみました。



明鏡止水で有名な大澤酒造の大澤社長の言葉とは⁈

明鏡止水は、全国的にも有名な日本酒です。その日本酒を作っているのが、長野県の佐久に酒蔵を持つ大澤酒造です。その社長である大澤社長に「昔の酒蔵は、どんな人に飲まれることを想定していたんですかね?」と質問したところ、これまでの酒蔵さんとは少し異なった返答が返ってきました。

どの村や町にも数件は、小さな造り酒屋があったから、村人も飲めるものだったかな。

ということでした。これは、これまで様々な記事で紹介した石川県や新潟県などの日本海側の日本酒事情と若干異なっているように感じました。というのも、これらの地域では、城下町や門前町、港町に卸す日本酒が多かったのが特徴です。それに対して、「小さな造り酒屋」というのが気になり、調べてみることにしました。

江戸時代の長野(信濃国)と酒蔵

整備された中山道と大名中心の士農工商制度

上の地図が、長野県の地図になっていますが、長野県南部から西部にかけて、日本アルプスが横たわっています。そのため、ここを通る中山道の整備を幕府は早急に行いました。その旧中山道の経路はこちら↓

上記の旧中山道を見ていただくとわかるのですが、山間を縫ったようにして、敷かれているのがわかります。このことからもわかるように、旧中山道を整備することによって、「人・もの・カネ(貨幣)」の流通が活発になりました。

また、峠が多い旧中山道の整備によって、その峠の前後には、宿場町が置かれ、そこでも「人・もの・カネ(貨幣)」の流通が活発になり、それによって、このような地方まで「貨幣経済」が浸透していくようになっていきました。ちなみに、長野県の旧中山道に置かれた宿場町は、25箇所にものぼります。

旧中山道沿いの城址にも目を向けて見ると、この旧中山道は、城は多くないものの、城と宿場町は、ほど近い場所に位置していて、この環境で、現存する酒蔵も数多くあります。そのため、宿場町と城が近い場所では、酒造りは盛んに行われていた形跡があると言えるでしょう。

まとめ
①旧中山道の整備によって、「人・もの・カネ」の流通が活発になり、数多くの宿場町(山間部も含む)が栄えた。
②①の結果、「貨幣経済」の浸透がより深まった。それにより、酒などの嗜好品も貨幣で取引するのが以前より容易になった。
③旧中山道は城が多くないが、城がある場合のほとんどが、宿場町とほぼ同じ位置にあり、そこでも酒造りが行われていた。

小さな地主酒屋の多数創業

この薄青の地域は、「稲作」が盛んな地域でもあり、この地域は、かつてから地主が多くいたとされています。そのため、江戸時代で、この地域の酒造りの中心となったのは、「地主酒屋」とされています。

そのため、もちろん酒造りで使用する米は、地主が雇っている「小作人」が作った小作米であり、この小作人が、酒造りにも携わったと考えられます。この構造上、農業の閑散期になる10月から3月(小作人が閑散期の仕事として行う)までに酒造りを行う、京都の伏見や灘でもみられる「寒造り」も、江戸時代から行われていたようです。

また、街道の整備や宿場町の活発化によって、「人・モノ」の流通が活性化したために、貨幣経済が農村まで浸透したことで、農村でも酒造の新規開業が、幕末にかけて可能となり、どの村や町にも小さな酒蔵が、1、2件はあったと考えられます。

まとめ
①江戸時代の信州の日本酒造りは、「地主酒屋」が多く、小作人が作った小作米を用いて、酒造りを行っていました。
②江戸時代にかけて、街道の整備などが進み貨幣経済が浸透したことで、農村でも小さな酒造が創業するようになりました。

あの言葉を歴史から紐解くと…

どの村や町にも数件は、小さな造り酒屋があったから、村人も飲めるものだったかな。

街道の整備や城下町の人口増加によって、城下町や宿場町などでは貨幣経済が浸透し、その結果、農村にまで浸透しました。それゆえに、幕末近くになると、広範囲に小さな酒蔵ができるようになり、農村部にも1,2軒の酒蔵ができたと考えられます。貨幣経済の浸透に相まって、農村でも酒蔵ができたことによって、このお話は、歴史的にも可能性が高いと考えれますね。

長野の日本酒造りで第一線を走ってきた大澤酒造とは⁈

(大澤酒造HPより)

メーカー名:大澤酒造株式会社
住所:長野県佐久市茂田井2206
創業:1689年(元禄2年) ※元禄年間の酒造創業は多い。
電話:0267-53-3100
URL:http://osawa-sake.jp/
特徴:元禄2年に創業の老舗酒造メーカーさん。1969年にNHKで放送された番組で、当時の醸造生物学者坂口 謹一郎先生の立会いのもと、現存する日本酒と認定されたことで有名。代表銘柄は、「明鏡止水」。どんな食事にも合わせやすいのが特徴。

まとめ

まとめ
①どの村や町にも数件は、小さな造り酒屋があったから、村人も飲めるものでした。
②旧中山道では、城(城下町)や宿場町などがあった諏訪や佐久で酒造りが盛んに行われました。
③貨幣経済の浸透で、農村でも小さな造り酒屋が創業するようになりました。
④その結果、広範囲に渡って、多くの造り酒屋が存在し、明治初期には、全国第二位の酒蔵数にまでなりました。

 

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