「まち」と「道」の歴史で読み解く千葉の酒造り

今回は、SAKE RECOのテーマでもある「酒 × 歴史」の第一弾!実は、千葉県の酒造りは、4Mで語れちゃうんです。では、カンパーイスタート!

千葉県の場所(地図)

これが、千葉県の地図ですが、この地図を使いながら、千葉県の酒造りを見ていきましょう。基本情報ですが、千葉県は、関東地方の南西部に位置している太平洋に面した5,156 km²もの面積を持ちます。

千葉県南部には、地図から緑になっているように、房総丘陵と呼ばれるなだらかな山地があります。そこから流れ出る湧き水は、平成の名水に選ばれるほど、美味しいことで有名です。

千葉県北部(この地域を下総や北総と呼ぶことがあります)には、利根川が流れていて、明治時代までは、数多くの小さな河川が流れており、大雨などの際は、河川の氾濫が多く、住民を苦しめていた。そんな中、江戸時代、天明の田沼意次や天保の水野忠邦が、特に河川の氾濫や洪水を引き起こしていた印旛沼の干拓に乗り出したが、最終完成には至らなかった。これほどまでに、水が豊富であったため、この地域では、田園風景が広がっている。

                                         (田園風景印旛沼)

 千葉の酒造りは4M

千葉県の酒歴史を語る4M

  • 「【Machi】まち(城下町・門前町)」
  • 「【Michi】みち(陸路)」
  • 「【Mizu】みず(山・川)」
  • 「【Mamorinushi】守り主(神社)」

これらは、千葉県の酒造りには、欠かせなかった歴史要素です。これらを具体的な場所や地域に照らし合わせながらみていくことにしましょう!今回は、4Mの「【Machi】まち(城下町・門前町)」「【Machi】みち(陸路・水路)」をピックアップ。

【Machi】まち(城下町・門前町)

酒造りは、主に人が多く集まる城下町や門前町で多く行われます。

下 総 編

佐倉城:1610年(慶長15年)に建築再開。佐倉城には、江戸幕府の藩庁が置かれて、城主になるものは、歴史的に見ても、その後要職につくものが多かった。また、上記の地図の青のライン:御成街道(現在の成田街道)は、徳川家康の鷹狩りにも利用された道ということもあり、家康へのエンターテイメント街道と言える。そのため、将軍や幕府要職の夜の盃のための酒造りも重要であったと考えられる。

成田山:開山は940年。平安時代以降、日本では、武士が寺を菩提寺にするなど僧侶の力が増すようになってきたことに相まって、民衆の仏教信仰は相も変わらず深かったため、多くの人が、各地方の寺に参るようになった。成田山も、源頼朝などの関東武士からの崇敬を受けていたことに相まって、街道の整備と貨幣経済の浸透によって、参拝者も増えて行った。そのため、成田山の門前町には、多くの職人や商業が発達するようになっていった。そのため、江戸時代には、幕府が、酒株を承認するなどして、酒造りの制度化を進めた。その結果、今でも、成田山近郊では、酒造りが行われている。

参考:地形から飲む酒 下総編 鍋店(なべだな)【日本酒】(https://sakereco.info/ja/terrain-chiba-shimousa/) ※成田山門前町

上総・安房編

久留里城:1456年開城。久留里城は、背後に房総丘陵があり、水資源は豊富であった。また、上総の地域は、名前の由来にもなったように、都から房総半島に来る際、木更津や富津などの湊に着岸したため、そこから久留里城へは、街道が通っている。(上記の地図だと黄色のライン)この街道沿いに酒蔵が作られているのも興味深い。

参考:地形から呑む酒 上総編 吉崎酒造株式会社 【日本酒】 (https://sakereco.info/ja/terrain-chiba-kazusa/) ※久留里城下町

大多喜城:1521年に小田喜城として築城。この辺りも、久留里城と同様、房総丘陵にある地域で、水資源が豊富。

参考:地形から呑む酒 上総編 豊乃鶴酒造 【日本酒】 (https://sakereco.info/ja/terrain-chiba-kazusa/) ※大多喜城下町

 

【Michi】みち(陸路)

下 総 編

先述の地図で、佐倉城にも成田山にも通じている御成街道付近に、酒造メーカーが多くある。そして面白いのが、下の地図の囲われた地域。

横芝光〜東金市にかけてのこの地域は、家康の鷹狩り地域だったとされています。この地域は、彼らにとっては、遊び場であったため、それに合わせて、お酒を作る文化が生まれたのかもしれませんね。

参考:地形から飲む酒 下総編 齊藤ぶどう園【ワイン】(https://sakereco.info/ja/terrain-chiba-shimousa/

上総・安房編

上総・安房には久留里城と大多喜城があるとご説明しましたが、その城と城下町には、それぞれの街道(久留里街道と大多喜街道)が通っており、人の行き来を活発にしていた。そのため、酒造で作られた酒が他の地域へも流通していた可能性は十分あります。ぜひ、ドライブで、この街道を辿ってみてはいかがでしょうか?

最後に

今回は、酒造りを「まち」と「みち」を通して、歴史的視点で見てみました。次回は、「みず」「守り主」で取り上げてみます。

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