宮古島の風習「オトーリ」と効果的な断り方とは?

宮古島に残る風習「オトーリ」とは?

宮古島の各島々に伝統・風習として残っているオトーリは、宮古島や伊良部、来間、池間、多良間、大神で続けられているお酒の飲み方です。他県などからの移住者や観光者、出張者からするとその飲みっぷりというのは、「半端じゃない!」と思えるほど、すごい量のお酒を飲みます。

Youtubeの『ハイサイ探偵団の休日』の下記の動画を見てもらえれば、「オトーリ」がわかってもらえると思います!

オトーリの歴史

オトーリの起源は、琉球王国(琉球国)時代に遡るとされています。琉球王国は、かつてから中国と日本の仲介貿易によって発展を遂げていきました。

その理由は、琉球王国の土壌や気候から農作物や穀物の生産が乏しかったことに相まって、中国や南海諸国と日本の両方から距離的に近かったということで、仲介貿易を主に行っていたからです。

そのため、中国からの来訪者が多く、中国で行われている方式での乾杯に近い「オトーリ」が来賓を招いた際に行われるようになっていきました。

お酒の製造には、どうしても糖質を含んだ「穀物」の存在が欠かせません。しかし、この当時の琉球王国は、仲介貿易が発展したように、お酒の材料となる穀物が限られていたため、お酒が貴重な存在でした。

そのため、来客があった時に、貴重なお酒を皆に分けるために行われたのが、「オトーリ」とされています。

また、この他にも、「御嶽」という琉球の神話の神様がいるとされる場所での、神事の祭祀を起源とする説もあります。この場合、島の人々が順番に御神酒を飲み、五穀豊穣を願ったとされています。

この時の飲み方にも、特徴があったとされています。島民が車座に座り、農作物の豊作を願う時は、時計回りに杯を回してお酒を飲むのを「豊作まわり」と言いました。また漁師が魚を大漁に獲るのを願う場合は、反時計回りにお酒を飲むのを「大漁まわり」なんていったそうです。

【オトーリまとめ】
・オトーリの歴史は、琉球王国の時代まで遡る!
・時計回りに杯を回して飲むのを「豊作まわり」
・反時計回りに回して飲むのを「大漁まわり」

オトーリの流れ

1.進行を進める「親」を決める
2.「親」からの口上の挨拶(参加者への言葉や抱負など)
3.親が酒を注ぎ、参加者は杯の酒を飲み干して、親へ杯を返す
4.参加者が一巡するまで繰り返す
5.親の一つ手前の順番の人が、飲み干した杯に酒を注ぎ、親へ返杯する
6.次の親を指名し、上記1.〜5.を繰り返す

オトーリの流れは、上記の通りです。お酒を無限ループで飲まなければならないので、非常に大変ですし、危険です。

この宮古島地域の人の飲酒量は、非常に多いことでも有名です。例えば、平成25年に発表された「宮古地域における飲酒の実態調査中間報告」では、男性の9割以上が飲酒習慣(1ヶ月に飲酒機会がある)があるという結果が出ています。

また、1回の飲酒に飲むお酒の量が、6杯以上とする人が、男性の40代で71.1%そして男性の50代で68.4%で高い割合が出ています。

全国平均との比較で見ても、宮古島地域の人の1日に飲酒する量が10杯を超える割合が45.6%であるのに対して、全国平均で1日に10杯以上を飲む人の割合は3.3%です…。いや、違い過ぎるでしょ…。

ですので、宮古島地域の人(特に男性)は、そもそもお酒をたくさん飲める強さを持っているのかもしません。

なお、沖縄県民の人は、全国的にもお酒が強い県として有名で、アルコール分解後の有毒なアセトアルデヒドを分解する「ALDH2」がの酵素の力が強い特徴があることも一つの要因かもしれませんね。

では、オトーリをどのように断れば良いのでしょうか?

SAKE RECO 編集長
日本のお酒をこよなく愛する「SAKE RECO」の編集長。特に、最近では、日本酒はもちろんのこと、「クラフトジン」や「焼酎」にどハマり中。お酒ばっかりだと太るので、「マラソン×筋トレ」は日課。

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