様々な角度で料理と向き合い続けた料理人の『こだわり』とは? 恵比寿 今市 料理長:濵野 崇史さん

恵比寿に、隠れ家的な大衆割烹「恵比寿 今市」があります。住所・電話番号非公開でありながら、リピートする人が、足繁く通うお店。そんな「恵比寿 今市」の繊細な味付けと食材を生かした料理をつくる料理長:濵野 崇史 さんに、恵比寿今市の料理へのこだわりやなぜ料理人を志し、どのように料理の腕を磨いてきたのかを取材させていただきました。

今回は、東京恵比寿の大衆割烹「恵比寿 今市」の料理長:濵野 崇史 さんに取材を行わせていただきました。「料理人を志したきっかけ」や「『恵比寿 今市』で料理をつくるまでの経緯」、そして「『恵比寿 今市』のこだわり」についてお聴きしてきました。

「20代は苦労しよう」と決意してスタートした料理の道

Q:現在、「恵比寿 今市」で料理をつくっていらっしゃる濵野さんですが、いつから料理人を志すようになったのでしょうか?

(濵野さん):「料理人になる!」と具体的に思うようになったのは、将来を考えるようになった高校生の時です。小学生の時から、両親が仕事で家にいなかったということもあって、よく自分で料理をしていました。そのうち、料理をするのが楽しくなっていって、小学3年生の時には、二十歳の自分に宛てて書いた「未来の自分へ」という手紙に、「10年後の君は、料理人になっていますか?」って書いてあるほどでした。二十歳になって、その手紙が送られてきた時は、かなり驚きました。この時から料理人を意識していたんだなと。

ただ、実は、中学生までは、「プロ野球選手」を目指していたんですが、高校入学して、事情があり、野球を諦め、「この先の進路」について真剣に考えるようになりましたね。もちろん大学進学も考えていたのですが、手に職をつけた方がいいという気持ちが強くなり、料理の専門学校に進学することを決意しました。そして1年間の専門学校での生活を経て、料理人としての道をスタートしました。

Q:料理人のスタートはどんなお店だったんですか?

(濵野さん):19歳の春から24歳まで、現在は閉店しているんですが蕎麦割烹のお店「赤坂 たけがみ」に入り、「料理のいろは」を学ばせてもらいました。その当時から、「20代は苦労して、色々な経験(インプット)をしよう」と決めていていたので、より自分にとって厳しくもあり、経験も積める環境に身を置きました。「何もないゼロからのスタートなんだったら、しっかりと仕事を覚えよう」という気持ちで、毎日調理場に立っていました。そこで、得られたものは、数多くあるんですが、「忍耐力」と「料理の基礎技術」、「日本料理の知識」は自分にとっての財産になりましたね。かなり心身共に鍛え甲斐のある環境だったので、今振り返ると、よく「頑張りぬいたな」と思いますね。あとは、「レシピ・メニュー」作りの経験は、今の今市のメニュー作りにも生きていますね。というのも、その当時、月に2回程度、メニュー替えがあったので、「レシピ・メニュー」を作る経験は、そこで養われたかなと思います。

Q:「赤坂 たけがみ」では、料理をいかに学ぶかを念頭に修行されていたと思うんですが、お酒への興味はいつ頃からありましたか?

(濵野さん):21歳で、カウンターに立たせてもらえるようになって、お客様からお酒をいただくことが多くなってから、興味を持つようになりましたね。しかも、特にそのお店に置いていた日本酒が、高級なものも多かったので、なかなか貴重な経験だと感じ、頂いたお酒で一生懸命、勉強させていただきました。それ以来、外でお酒を飲む時も、日本酒を飲むようにしましたね。

Q:その後は、どのようなお店で働かれたんでしょうか?

(濵野さん):その後は、以前の職場の先輩からのお誘いがあって、築地の鮮魚店に1年間働かせてもらいました。料理店で魚を扱うとしても、メニューなどの関係上、どうしても限られた種類の魚を扱うにとどまってしまうと感じていたのもあって、築地の鮮魚店に入って、何年分かの大量の魚を捌くことが出来たのは、非常にいい経験になったなと思います。

あとは、お客様の色々なオーダーに応じて、捌き方を変えながら対応するというのは、今の今市の魚料理にも活かせているんではないかなと思います。というのも、スーパー向けの魚の捌き方とホテル向けの魚の捌き方は、当然、違うんですよね。そのオーダーの一つ一つに、丁寧に応えていくことで、魚の捌き方や扱い方に幅を持たせることが出来たのかなと思います。

余談ですけど、魚が、「天然のもの」それとも、「養殖のもの」かわかるようになりました。そしてその後は、「視野を広げたい」ということで、オーストラリアのメルボルンのレストランに行くことにしました。

(「恵比寿 今市」にて、特別に捌いていただいた鯛の姿造り)

「オーストラリア」に行ったからこそ得られた「レッテルを外す」大切さ

Q:オーストラリアに行くきっかけは何だったんでしょうか?

(濵野さん):オーストラリアのメルボルンにあるレストランのオーナーさんの「人間性」に惹かれて、オーストラリアに行って勉強したいと思ったことがきっかけです。今後、料理の世界で、いずれは上の立場になって、料理と向き合っていくことを考えると、「人間性」という意味で、「視野」をより広げたかったんです。

例えば、「料理人の価値観」や「スタッフに対しての思いやり・気配り・育て方」の視野を広げていきたいと思っていましたので、そのオーナーさんの元で働けたのは、今の働き方にも活かせていますし、今後も大切にしていきたいと思います。

Q:食材が日本と違うオーストラリアで料理するというのは大変でしたか?

(濵野さん):実は、そこまで不自由はなかったです。確かに、日本で取れる食材だと料理をしやすいというのはあるんですが、「この料理にはこの食材じゃないと…」というレッテルを外すことができれば、オーストラリアの食材でも十分美味しい料理を出すことができることを知れたのは、よかったです。むしろ「オーストラリアの食材」を使った方が美味しい料理もあったので、そういう点でも面白かったですし、勉強になりましたね。

あと、魚については、日本の技術ってすごいなと思いました。日本の漁師さんや仲買人さんの「締め方」のレベルの高さに、改めて、気付かされました。オーストラリアは、基本「野締め(氷水を入れて締める方法)」という方法での締め方なんです。でもその一方で、日本の締め方は、「活け締め」「野締め」「神経締め」があり、「いかに生きた素材を維持するのか」の工夫がされていたことに、改めて、「凄い!」と思いました。

確かに環境は、日本と違うので、人によっては、難しいと感じるかもしれません。でも、素材に合わせて、自分がいかに知識や考え方に幅を持たせながら工夫し、調理できるのかが、どの環境にいても、大切なのかなと思います。なので、いかなる環境や状況でも、「やり方」や「活かし方」はいかようにもあると思います。

お酒と料理の相性で大切なのは「直感」

Q:日本に帰国する前に、今後の展望は決めていたんですか?

(濵野さん):和食に戻ろうということは決めていました。なので、帰国後は和食のお店で働かせてもらいました。その後、麻布十番にある「可不可KAFUKA TOKYO」のオープニングに参画させてもらいました。そこでは、ワイナリーの人や蔵元さん、ソムリエさんが来て、イベントをしていたので、イベントを開催することに、慣れていきましたね。あとは、実際にワイナリーさんや蔵元さんが来られるので、日本酒やワインなどのお酒の知識は、増えたかなと思います。

Q:「可不可KAFUKA TOKYO」で、色々なお酒に触れてみて、20代前半と20代後半以降のお酒に対する考え方に何か違いはありましたか?

(濵野さん):正直、全く違いますね。20代前半の時は、お酒の美味しさに魅了されて、何も食べないで、ひたすらお酒ばかりを飲んでいました。ただ、20代後半以降は、日本酒の種類やワインのぶどう品種を知っていることもあって、「飲み方」や「どんな料理に合わせやすいかな」を意識してお酒を楽しむようになりました。以前よりも、お酒を飲んでみて、「こんな食材や料理と合わせたらいいかもな」と言うのが、イメージで出てくるようになってきたので、徐々にお酒と料理が結びついてきたのかなと思います。

Q:やはり常に意識してお酒との「食べ合わせ」を考えているのです?

(濵野さん):いや実際、そんなにガチガチに考え込んでないって感じですね。というのも、私自身の考えなんですが、「お酒」って主観で楽しむ飲み物だと思っているんですね。自分で感じたお酒の美味しさは、完璧には人に伝えられないものなので、難しく「純米だから肉じゃがをつくろう」というよりは、直感的で、合いそうなものを選べばいいのかなと思います。なので、直感的に「美味しい」と感じることが大切かなと思いますね。

今市の「成長」と「こだわり」

Q:今市に入ってから力を入れた取り組みがあれば教えてください。

(濵野さん):私が、今市にきて丸2年になるんですが、今市に入った当初は、既存のメニューはありましたが、完成度はまだまだ改善の余地がありました。なので、店舗スタッフ全員で常にミーティングを行い、「どういう料理がいいのか」、「どういうおもてなしがいいのか」ということをよく話し合いました。また、いいイメージを共有しながらも、それぞれの得意分野を生かしていくことも考えて、みんなで働いていました。

その甲斐あってか、少しずつ、売上や客数も伸びてきて、徐々にですが、自分たちの理想の形に近づいてきたと思います。今では、「『みんなで』美味しい料理をつくる」ということで、今年2月から月一の「メニュー提案」という仕組みを実施するようになりました。そこで採用したメニューを「お通し」と「今一押し」のメニューに入れ、それぞれの思いがこもった料理にしようということで、今後もこの取り組みは続けていけたらと思っています。

こうやって現場ベースで「仕組み」を作って来れたのは、会社の方針や考えを加味しつつも、自分たちなりのやり方を模索して来たからこそなのかなと思います。あとは、こうやってできたのも、全員の息が合ってこそだったと思います。そして、そういったことが合わさったことで、お店として成長できているのかなって感じています。その結果、通っていただくリピーターさんも着々と増えてきたので、今後もお客様により楽しんでもらえるようになっていればいいかなと思います。

Q:では最後に「恵比寿 今市」のこだわりを教えてください。

(濵野さん):一番大事にしているこだわりは、食材の「素材感」や「季節感」を大事にしています。なので、是非、この「素材感」と「季節感」が楽しめる「おすすめメニュー」を召し上がってもらいたいですね。

当店の「おすすめメニュー」は、メニュー表の右上にある「刺身」「今一押し」の料理です。メニュー表の右上の「刺身」から、「今一押し」「定番」の順に召し上がっていただくのがおすすめです。旬な食材で、手間暇かけて造っているので、楽しんでもらえると嬉しいです。

(2019年4月時点での「恵比寿 今市」のメニュー表)

【記者からの一言】
取材ありがとうございました。31歳にして、国内外で、料理人として活躍してきたからこその「仕事の本質」をお話していただいて、私自身も大変勉強になりました。実は、小学校の時、彼と私は、少年野球で一緒にプレーをしたことがありました。今もそうですが、幼少期から体格に恵まれていて、その割には、コツコツとヒットを積み重ねるタイプだったので、それは、仕事でも同じなんだなと。コツコツと自分のできることを増やして、レベルを上げていく。それだけでなく、周りへの気配りを忘れない優しさがあるからこそ、彼の料理は、「繊細で優しい味付け」に仕上がっていくのかなと感じました。

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SAKE RECO 編集長
日本のお酒をこよなく愛する「SAKE RECO」の編集長。特に、最近では、日本酒はもちろんのこと、「クラフトジン」や「焼酎」にどハマり中。お酒ばっかりだと太るので、「マラソン×筋トレ」は日課。

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