飲食の縁と運が繋いだワイナリー創業への道 坂城葡萄酒醸造株式会社 代表取締役:成澤 篤人さん

長野駅から電車で約30分の「坂城駅」から徒歩8分ほどの場所に、坂城葡萄酒醸造株式会社があります。こちらのオーナーである成澤 篤人さんに、ワイナリーを創業した熱い思いや今後の展望などをお伺いさせていただきました。

今回は、サケレコ取材班が、坂城葡萄酒醸造株式会社 代表取締役CEO 成澤 篤人さんに、ワイナリー創業への思いと経緯についてお伺いさせていただきました。成澤さんのワイン造りまでのストーリーは必見です!

坂城葡萄醸造の成澤篤人さんとの写真

ワイナリーを創業する3つのきっかけ

Q:ワイナリーを創業するきっかけを教えてください。

きっかけは、3つあります。まず1つ目が、「探求心」ですね。

そもそもワイナリーを創業する前に、長野駅前に「オステリア・ガット」というイタリアンレストランをオープンしました。イタリアンレストランなので、お客様へのより良いワインのご提供のためにも、近くのワイナリーにワインの勉強をしに行きました。そこで、ワインについて、色々と教えてもらったり、また、お手伝いもさせていただいていたので、どのようにワインが造られるのかも知ることができました。

そのおかげもあり、創業したレストランでは、イタリアワインと地元長野のワインを扱うようになりました。ただ、それまでの長野ワインというと、コンコードやナイアガラなどの甘口のもので、県外の人がお土産として購入するものが多かったこともあって、地元のみなさんが召し上がるのは、イタリアワインが多かったように思います。ただ、イタリアなどの海外のワインをご説明する際に、例えば、「このワインは、バローロで、作り手は〇〇さんという方で、こういう気候に合わせて、ワイン造りを行っています。」とご説明するんですね。ただ、ワインの場合、非常にお詳しい方も多くいらっしゃるので、鋭い質問すると実際にワインを造っているわけではないので、自分自身でも納得のいく説明ができていないと感じるようになったんです。

そこで、「会ったこともないし、行ったこともない場所のことを、誰でもWeb上を使えば知り得る情報でご説明するのは、非常に薄っぺらいのではないか?」と思うようになっていきました。確かに、長野ワインも取り扱っていましたので、「ここの土地の標高はこれぐらいなので、こういうワインに仕上がりました」という説明をしたとしても、実際に造ったことがないところで、「これは、自分で造ってみるしかないんじゃないか?」と思ったのが、きっかけの一つの「探究心」ですね。

2つ目が、レストランスタッフやメンバーにとって、働きやすい労働環境を整えられる「経営的な安定」を意識的に考えたことですね。というのも、飲食業界の経営者として、労働環境をよりよくする意識は持っておくべきだと思っていて、そのためにも、ワインを作るメーカーであり、またレストランとして、経営の基盤を盤石にしたかったんですね。それによって、労働時間をしっかり決めてというより、やることをしっかりやって、あとは、自分の時間や家族の時間に充てられるにできるといいかなと思います。

3つ目は、「日本ワインの文化の構築」です。というのも、ソムリエであり、なおかつワインの造り手という両面からワインを見ているので、以前から日本ワインの文化を造っていきたいという気持ちがあるからですね。自分たちが造っているのは、お料理・葡萄・ワインですが、こういう商品やサービスを作ることによって、この先にある文化を造っているという思いを持った会社にしていきたいというのがあります。この先、いかにインターネットがより発展していったとしても、食は人間の幸せの中の一つだと思いますし、多分、機械には真似できないものだと思います。そういう幸せをつくっていくことで、より人が幸せになる、強いては、日本の食文化に繋がってるんだということを考えながら、この事業をやっています。

自社での情報発信を大切にするWeb活用

Q:御社のワイン情報はどのように消費者の方に発信していますか?

私は、割と、葡萄を植え始めたところからブログやSNSを使って、発信をしていました。常に、どういう思いで造っているのかを発信していたんですね。それを見ていてくれた人たちは、「頑張ってるな」ということで、気づいてくれて、ご来店いただいたりしていると思うのですが、それでもまだまだできたばっかりですし、当然知らない人がほとんどですので、その方に知ってもらうには、これからどうしていったらいいのかというのは、今も考えていますね。

実は、2009年のレストランのオープンからかなりの頻度で、ブログ更新していまして、私が、お店に立つ日は、必ず発信していました。ブログであれば、お金をかけずに、コツコツとやっていくだけなので。あとは、有料の媒体であると、どのお店もいい情報しか書いていなかったりするので、他のお店との違いといいますか、うちの良さがなかなか伝えられないと感じたということも理由としてありますね。

そういうわけで、情報発信は積極的にやっていこうとは考えていますね。

思い切って東京に行って抱いた「自分のお店を持ちたい」という夢

坂城葡萄醸造の成澤篤人さんとワイナリー

Q:2009年にレストランを始められる前はどのようなお仕事をされていたんですか?

そもそも私は、この坂城町で生まれ育って、ここの地元の高校を卒業して、一度、坂城町の工場に就職しました。そして、仕事をしていると、なんとなく、「23歳くらいで結婚して、30歳くらいで家を買って、子供が出来て…」と想像した時に、「本当にこれでいいのか?ちょっと外の世界も見てみたいぞ。」と思うようになりました。これが19歳の時です。

その当時、姉が、東京にいたので、「東京に行けば何かあるんじゃないか」と思い、会社を1年で辞めて、東京へ行き、姉の家に住まわせてもらいました。ただ、特に何をやりたいということもなかったので、「なんかありそうだな」という気持ちくらいで、東京に行ったのは今でもよく覚えていますね。それで、縁あって、飲食店で働かせてもらったんですが、その時のお店の先輩が、「友達がバーをやってるから仕事終わったら、一緒に行ってみようか」と誘ってもらって、生まれて初めてバーに行きました。それが衝撃でしたね。カウンターの中で、ベストをきたバーテンダーさんが、シェイカーをかっこよく振ってるんですね。率直に、「すごい素敵だな。俺がやりたかったのはこれだ!」ということで、知り合いの紹介で、バーで働くことになりました。なので、最初にお酒に携わるお仕事は、実は、バーテンダーでした。

ただ、地元に帰らなければならない事情もあり、地元に帰ってきました。それまで、飲食のお仕事を続けてきたのですが、地元に飲食店がそもそも少なかったこともあって、そのタイミングで、「トラックの運転手」に転職しました。トラックの運転手は、2年くらいやりましたね。なので、葡萄の運搬などで、その時の経験は、かなり生きてますね 笑。ただ、バーテンダーをやっていた時から、自分のお店を持ちたいというのが夢だったので、「自分のお店を持つこと」を夢見て、トラックを運転していました。そんな時に、ワインの営業のお仕事があるということを知り、ワインも好きだったので、ワインの営業に転職しました。それが、25歳の時ですね。

そして、ワインの営業に就職してから、以前、初めてバーに連れて行ってもらった先輩から連絡があって、「長野の地元の友達が飲食店をやるから、一回会ってみてくれないか?」ということで、お会いして、飲食業に戻ることを決意しました。ただ、そのお店が閉店してしまうということで、別の友人から、「ダイニングバーが新しくオープンするんだけど、ちょうどバーテンダーを募集するからどう?」という話があって、そこで仕事をすることになりました。ここでは、7年ほどいたんですが、この期間で、このお店が7店舗くらい展開をしていったんですね。最初は、私は、バーテンダーのアルバイトとして入ったのですが、頑張っていたことも評価されて、次の店舗を出す時に、店長として、立ち上げをやらせてもらえるようになりました。そのあとの新店舗の立ち上げも店長としてやらせてもらいました。

そして、ちょうど30歳になり、そろそろお店やろうかなと思うようになりました。そんなタイミングのお正月に、私の妹の旦那、義理の弟から「一緒にお店やりませんか?」と言われたんです。結構驚きですよね。もともと彼も、「自分のお店を持ちたい」ということだったのですが、まさか一緒にやるとは思いませんでした。それで、彼が一緒にやろうというのであれば、「やってみよう」ということになり、お店を立ち上げることになりました。実際に立ち上げたのは、32歳の時でしたね。

自信を持って説明したいという熱意からワイナリー創業まで

坂城葡萄醸造のヴィーノデッラガッタ坂城2017

Q:いつ頃からワイナリーの創業を考え始めたのでしょうか?

それから、レストランで、ワインをお客様にご提供するようになって、「やっぱり自分でワインを作ってみないとわからないな」ということで、2011年に葡萄栽培を始めました。実は、親戚が食用の葡萄農家をやっていて、その親戚の葡萄を作っている彼も私と年が近くて、ワインが好きだったので、一緒にワイン葡萄を作ろうということになりました。その時、最初につくったワイン葡萄品種は、カベルネ・ソーヴィニヨンです。日々の生活はというと、お昼は、葡萄畑で作業、夜は、レストラン営業という感じでした。ただ、その当時は、半分勉強ということもあったので、ワイナリーということもまでは、考えていなかったんです。

なので、まず、ワイン葡萄を作って、委託醸造をするというのが、第一目標でした。なので、最初からワイナリーという感じではありませんでした。なんとなく、10年後くらいに、ワイナリーを作れればいいなぁという感覚でしたね。そんな中、2013年ごろから信州ワインバレー構想が動き始めました。この信州ワインバレー構想には、プロモーション部会があり、飲食店やソムリエ、酒販店、デザイナーなどを集めて、「長野ワイン応援団」を作りました。先日帝国ホテルで行われた「NAGANO WINE FES in 東京2019」もその一環として、活動しています。

その一員として、ワイナリー を応援する側として、ワイナリーさんを巡っているうちに、新しくワイナリーがどんどん出来ていく、しかも大きな規模ではなく、小さな規模のワイナリーがどんどんワイン造りに挑んで行くので、「自分も頑張ってやっていけるのかな?」ということを思い始めました。そんなことを考えているうちに、2015年に玉村豊男さんが、アルカンヴィーニュというワイナリーで、千曲川ワインアカデミーが始めるということを耳にしました。そして、ちょうど「NAGANO WINE FES in 東京 2015」の直前に、玉村さんとお話する機会があり、その場で「千曲川ワインアカデミー行きます!」と言ったほど前のめりだったと思います。ただ、千曲川ワインアカデミーは、高い応募倍率だったのですが、幸いにも受講することが出来ました。アルカンヴィーニュの一期生として、少しずつワインを造るという意識が芽生えてきました。あと、ワイナリを創業する資金の算段もついてきたこともあり、「いよいよ」という感じにはなりつつありました。そして、2016年3月に卒業しました。

ただ、千曲川ワインアカデミーの授業は、1年(合計:60回の授業)なので、1回の栽培や仕込みしか出来なかったので、造れる自信はこの時はまだありませんでした。なので、ワイン醸造のコンサルティングを入れて、ワイン造りを始めることを考えていました。ただ、思うようなコンサルティングの委託先が見つからず、それであれば、一緒に自分たちのワインの味わいを出していける醸造ができる人材を探すようになりました。

そんな時です。長野ワイン応援団のHPに、アメリカからメッセージが送られてきました。そのメッセージは、アメリカ在住の日本人で、カリフォルニアでワインを12年間作っていたという女性からでした。その内容は、「家族でアメリカから日本に戻るので、もし可能であれば日本でワインを作りたい。そちらに長野県でワイン醸造の求人募集はありますか?」というものでした。それを見た事務局が、「うちの応援団長がちょうどワイナリーを作ろうとしている」という旨を伝えてくれ、そして、彼女が一時帰国するタイミングで、坂城まで来てもらうことになりました。その時は、私から「こういう場所で、こんなことをやりたい」と熱意を伝えて、彼女は、一度アメリカに帰国しました。そのあと、家族で話し合った結果、うちに来てくれることになり、実際にワイナリーの創業に向かっていきました。

このワイナリーの創業までを考えてみると、一生懸命走っていれば、なんとかなるのかなって思います。

自社ワイナリーでの醸造

Q:一番最初に、自社のワイナリーで醸造したのはいつですか?

2018年ですね。2015〜2017年は、委託醸造を行っていて、その時のワインは、販売するのではなく、レストランでお客様にご提供していました。2018年からようやく自分たちのワインを作り始めました。樽での熟成も始めています。過去のものは、全て瓶詰めしているので、今、樽で熟成しているのは、2018年のものだけですが、これから少しずつ、増やしていこうと思っています。

【詳細情報】

住所:長野県埴科郡坂城町坂城9586-47
坂城葡萄酒醸造株式会社 Facebookページ:https://www.facebook.com/vinodellagatta/

次回は、成澤さんのおすすめワインの選び方と坂城葡萄酒醸造さんのワインをご紹介します!

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SAKE RECO 編集長

SAKE RECO 編集長

日本のお酒をこよなく愛する「SAKE RECO」の編集長。特に、最近では、日本酒はもちろんのこと、「クラフトジン」や「焼酎」にどハマり中。お酒ばっかりだと太るので、「マラソン×筋トレ」は日課。

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