【取材記事】飲食の縁と運が繋いだワイナリー創業への道

自社での情報発信を大切にするWeb活用

Q:御社のワイン情報はどのように消費者の方に発信していますか?

私は、割と、葡萄を植え始めたところからブログやSNSを使って、発信をしていました。常に、どういう思いで造っているのかを発信していたんですね。それを見ていてくれた人たちは、「頑張ってるな」ということで、気づいてくれて、ご来店いただいたりしていると思うのですが、それでもまだまだできたばっかりですし、当然知らない人がほとんどですので、その方に知ってもらうには、これからどうしていったらいいのかというのは、今も考えていますね。

実は、2009年のレストランのオープンからかなりの頻度で、ブログ更新していまして、私が、お店に立つ日は、必ず発信していました。ブログであれば、お金をかけずに、コツコツとやっていくだけなので。

あとは、有料の媒体であると、どのお店もいい情報しか書いていなかったりするので、他のお店との違いといいますか、うちの良さがなかなか伝えられないと感じたということも理由としてありますね。

そういうわけで、情報発信は積極的にやっていこうとは考えていますね。

思い切って東京に行って抱いた「自分のお店を持ちたい」という夢

坂城葡萄醸造の成澤篤人さんとワイナリー

Q:2009年にレストランを始められる前はどのようなお仕事をされていたんですか?

そもそも私は、この坂城町で生まれ育って、ここの地元の高校を卒業して、一度、坂城町の工場に就職しました。そして、仕事をしていると、なんとなく、「23歳くらいで結婚して、30歳くらいで家を買って、子供が出来て…」と想像した時に、「本当にこれでいいのか?ちょっと外の世界も見てみたいぞ。」と思うようになりました。これが19歳の時です。

その当時、姉が、東京にいたので、「東京に行けば何かあるんじゃないか」と思い、会社を1年で辞めて、東京へ行き、姉の家に住まわせてもらいました。ただ、特に何をやりたいということもなかったので、「なんかありそうだな」という気持ちくらいで、東京に行ったのは今でもよく覚えていますね。

それで、縁あって、飲食店で働かせてもらったんですが、その時のお店の先輩が、「友達がバーをやってるから仕事終わったら、一緒に行ってみようか」と誘ってもらって、生まれて初めてバーに行きました。

それが衝撃でしたね。カウンターの中で、ベストをきたバーテンダーさんが、シェイカーをかっこよく振ってるんですね。率直に、「すごい素敵だな。俺がやりたかったのはこれだ!」ということで、知り合いの紹介で、バーで働くことになりました。なので、最初にお酒に携わるお仕事は、実は、バーテンダーでした。

ただ、地元に帰らなければならない事情もあり、地元に帰ってきました。それまで、飲食のお仕事を続けてきたのですが、地元に飲食店がそもそも少なかったこともあって、そのタイミングで、「トラックの運転手」に転職しました。トラックの運転手は、2年くらいやりましたね。

なので、葡萄の運搬などで、その時の経験は、かなり生きてますね 笑。ただ、バーテンダーをやっていた時から、自分のお店を持ちたいというのが夢だったので、「自分のお店を持つこと」を夢見て、トラックを運転していました。そんな時に、ワインの営業のお仕事があるということを知り、ワインも好きだったので、ワインの営業に転職しました。それが、25歳の時ですね。

そして、ワインの営業に就職してから、以前、初めてバーに連れて行ってもらった先輩から連絡があって、「長野の地元の友達が飲食店をやるから、一回会ってみてくれないか?」ということで、お会いして、飲食業に戻ることを決意しました。ただ、そのお店が閉店してしまうということで、別の友人から、「ダイニングバーが新しくオープンするんだけど、ちょうどバーテンダーを募集するからどう?」という話があって、そこで仕事をすることになりました。

ここでは、7年ほどいたんですが、この期間で、このお店が7店舗くらい展開をしていったんですね。最初は、私は、バーテンダーのアルバイトとして入ったのですが、頑張っていたことも評価されて、次の店舗を出す時に、店長として、立ち上げをやらせてもらえるようになりました。そのあとの新店舗の立ち上げも店長としてやらせてもらいました。

そして、ちょうど30歳になり、そろそろお店やろうかなと思うようになりました。そんなタイミングのお正月に、私の妹の旦那、義理の弟から「一緒にお店やりませんか?」と言われたんです。結構驚きですよね。もともと彼も、「自分のお店を持ちたい」ということだったのですが、まさか一緒にやるとは思いませんでした。

それで、彼が一緒にやろうというのであれば、「やってみよう」ということになり、お店を立ち上げることになりました。実際に立ち上げたのは、32歳の時でしたね。

ワイナリー創業までの道のりとは?

SAKE RECO 編集長
日本のお酒をこよなく愛する「SAKE RECO」の編集長。特に、最近では、日本酒はもちろんのこと、「クラフトジン」や「焼酎」にどハマり中。お酒ばっかりだと太るので、「マラソン×筋トレ」は日課。

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