地域のため、応援してくれるお客様のため、そして「幸せ」のため、酒文化を守り続ける青木酒造とは⁈

古河に唯一ある、地域を代表する酒蔵としてのバトンを守り続ける茨城県古河市の「青木酒造」さんを訪ねました。これまで、美味しさという品質にこだわりながら、お客様というファンを大切にしてきたからこそ、多くのお客様から応援され続けてきました。そんな青木酒造さんに潜入してきました!

今回は、サケレコ取材班の吉敷が青木酒造さんを訪問させていただきました。青木酒造の専務、青木知佐さんにこれまでの青木酒造の歴史と知佐さんの酒蔵ストーリーを取材させていただきました。

美味しさと品質にこだわり続けた188年の歴史

茨城県の古河市にある青木酒造の看板

(青木酒造ネットショップ画像より)

☆創 業

Q:創業について教えていただけますか?

青木酒造は、1831年(天保2年)に創業したんですが、もともとは、滋賀県彦根付近で生活していた農民で、何かのきっかけで、栃木県の足利市に移り、利根川・渡良瀬川があることもあって、古河で創業したんだと伝え聞いています。またこの地域は、水も豊富で、なおかつ、土地が平らなので、米作りや日本酒造りに適しています。また、大きな河川があることで、船での輸送も可能です。それだけでなく、江戸時代古河城の城下町ということもあり、多くの人で賑わっていたこともあり古河で創業した理由なのだと思います。

☆大きな転換期になった昭和〜平成

Q:昭和から平成にかけてはどうお酒造りは変化していったのですか?

昭和に入ってから、戦争があったということもあり、お酒は贅沢品とされて、日本酒の販売ができない時代もあったそうです。ただ、それでも、うちは、以前から「醤油」と「お味噌」を作っていたこともあり、なんとか乗り越えることができたみたいです。ちなみに、私の父の幼少期までは、醤油屋さんをやっていたそうです。

平成に入って、日本酒の級別制度が廃止(平成4年)になり、早い段階で、地元のものを使って、「品質」にこだわって、特定名称の日本酒を作り始めました。私の祖父も、かなり「美味しく・品質のいいお酒を作る」ことを意識して、酒造りをしていましたね。

また、うちは、「日本吟醸酒協会」の創業(1981年)からのメンバーで、その時期から、「美味しい日本酒を作りたい」という強い気持ちがありました。その当時から、酒蔵として、生き残っていくためにも、吟醸酒は意識していたんじゃないでしょうか?

酒蔵の実家に戻って感じた「日本酒」の面白さとは?

SAKE RECO 編集長
日本のお酒をこよなく愛する「SAKE RECO」の編集長。特に、最近では、日本酒はもちろんのこと、「クラフトジン」や「焼酎」にどハマり中。お酒ばっかりだと太るので、「マラソン×筋トレ」は日課。

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