実は呑兵衛だった⁈今でも語り継がれる福沢諭吉のお酒伝説とは?

一万円札や慶應義塾大学など、福沢諭吉にまつわるものが日本には非常に多いですよね。そんな、日本を代表する福沢諭吉は実は、大変お酒が好きだったとされています。では、福沢諭吉のお酒伝説をちょっとみていきましょう。

福沢諭吉が好きだったのは〇〇だった⁈

福沢諭吉は、「学問のすすめ」を執筆するほど、勉強には余念がなかった人であることは間違いない。22歳で大阪の適塾に入ると、よく勉強した一方で、よくお酒を飲んでいたようです。そんな自分を「牛飲馬食ともいふべき男」というくらい大酒飲みであったようです。

そんな勉強とお酒好きだった福沢諭吉は、江戸で蘭学塾(のちの慶應義塾の前身)を開講ののち、欧米に留学することとなり、そこで、あるお酒に出会う。それが「ビール」でした。

アメリカ留学でハマったのはビール⁈

福沢諭吉が生きた19世紀というのは、日本で明治維新が起きたように、ビール業界でも大きな転換期を迎えていた。それは、エールビールからラガービールに流れが移っていったということです。

ビールは、それまでエールビールが主流でした。このエールビールは、硬水で活動する酵母によりアルコール発酵するため、硬水の割合が多いヨーロッパやアメリカで多く飲まれていました。しかし、もともとドイツのローカルビールだったラガービールが19世紀に主流になっていきました。

そのラガービールは、もともと軟水のためエールビールを製造できなかったドイツの一部の地域で、軟水でも温度が低い状態であれば活動することができる酵母を発見し、ビールを製造するようになりました。それが、19世紀になると、技術革新で、冷蔵機械が登場し、広く普及することになりました。

そんなビールは、欧米列強の船が日本を行き来するようになり、日本でも広まって行った。ちょうど同時期に、福沢諭吉もアメリカへの留学で、「ビール」に出会い、ビール党になりました。そして彼は、ビールについて、『西洋衣食住』の中でこんな風に書いています。

「ビィール」と云ふ酒あり。是は麦酒にて、其味至て苦けれど、胸膈を開く為に妙なり。亦人々の性分に由り、其苦き味を賞翫して飲む人も多し。

「ビールというお酒は、麦からできたお酒で、味は苦いけれど、自分の心の内を開くにはいいものである。また、その苦い味を楽しむ人も多くいる」

禁酒する人必見⁈禁酒すると決めた諭吉が取った手段とは⁈

お酒が好きだった福沢諭吉ですが、30代以降は次第に体調を崩すようになってしまった。そこで、禁酒をしようとしたのだが、どうしても、ビールだけは、辞められず…こんな名言を残します。

ビールは酒にあらず

「ビールは、お酒ではない」と言って、ビールだけは辞められなかったそうです…

最後に

福沢諭吉は、勉強だけでなく、お酒でも伝説を残していたんですね。ぜひ、みなさんも他の偉人のお酒のお話を探してみてください。

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